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PIKANDA PART2

2012.8.6 カムチャツカ(4) イワンと山登り アバチンスキー

前日にカーミャから言われていたように朝7時丁度にホテルのロビーに登山靴を履いたガイドが姿を現した。次いで、ジーンズにタンクトップの男ともうひとり背の高い男。どうやらこの3人と山に行くことになるらしい。

標高3456mのコリャークスキーと2741mのアバチンスキーが兄弟のように並ぶ。そのコルにある標高850mのベースキャンプまで1時間ほど悪路を行く。車は車高を高くしたパジェロだった。

ガイドは24才のイワンという青年。タンクトップの男はドライバーのディマ、背の高いの男はネイチャーガイドのコースチイだった。アバチンスキーの山頂まで標高差1900mは登りだけで6時間ほど掛かる。どうやらイワンと登ってみて万一私が体力不足で引き返したら、ネイチャーガイドのコースチイが後を引き継いで周辺を散策、という流れのようだった。

6才の頃にモスクワから来たというイワンは火山学が専門だと言った。誠実な感じの好青年だった。ガイドはアルバイトでやっているのだろうが、この山に登るのはこの夏10回目だということであった。

イワンからランチボックスを受け取って二人で登り始めたが、しばらくはなだらかな傾斜だったので、お互いのことを話しながら登っていった。自分の英語もひどかったと思うけれど、イワンもParkを「バルク」、Wordは「バルド」、というようにロシア語訛が強く、耳が慣れるまでに少し時間が掛かった。たびたび「フュアル?」と聞くので、燃料?つまり大丈夫か?という意味かと思って、「アイムオーケー」と返していたのだが、夕方になってようやく「ハウアーユー?」と聞いているのだということに気付いた。結局返答は同じだからいいのだけれど。

登っている最中に時折イワンの携帯が鳴った。興奮してロシア語で何かしゃべっていたが、どうやら友人がユーラシア大陸の火山最高峰、クリュチェフスカヤにアタック中とのことであった。カムチャツカ最高峰でもある4750mのその活火山はとても私などに登れる山ではないが、やはり近くまででもいいから行ってみたい。きっと現地の人にとっても憧れの山なのだろう。

だいたい5時間でアバチンスキーの山頂まで行き、2時間半で山麓まで帰ってきた。標高差1900mの日帰りは結構タフではあるけれど危険なところも無く、帰りは砂走りのような感じで高速下山できる。体力次第で誰にでも登れる山という印象だった。アバチンスキーの赤茶けた山肌は北海道の旭岳に似た感じがしたが、何よりも感動したのは山の裏側に私にとっては生まれて初めて目にする氷河が横たわっていたことであろう。標高2000mそこそこで氷河が見られるなんて思いもしなかった。

雲が取れて晴れ渡ってきた夕刻、ベースキャンプに戻るとディマとコースチイが待っていてくれた。イワンに聞くと、1日中私たちの帰りをそこで待っていたのだという。長いこと待たせて申し訳ないと言うと、自分達ものんびり過ごしてリフレッシュできるから問題ないよ、と笑って言うのであった。

ディマに頼んで帰り道にショッピングモールに寄ってもらい、昨日と同じATMでようやく余裕の持てるルーブルを引き出すことが出来た。よかった、これで何の心配もなく明日以降を過ごせる。



ベースキャンプからアバチンスキー。午前9時過ぎに標高差1900mの日帰り出発は遅いようだけれど、日没が午後9時ころなので全く問題なかった。
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ビスケットで餌付けされた地ネズミがそこらかしこに出没。
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ディマとコースチイ。夕方まで待っていてくれた。
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ペトロパブロフスク・カムチャツキーは雲の下だったが、ベースキャンプは明るい太陽の下。
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登山道の無いコリャークスキーにはまだ登ったことが無いと、イワン。
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こちらアバチンスキー。
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急坂が始まるちょっと前で振り返る。
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氷河の末端が見えた。
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あの尖った岩は何というかと聞くと「ジャンダルム」と。
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氷河の中心が見えてきた。
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平均斜度45度以上の砂礫の道をゆっくりと登る。
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山頂からコリャークスキーを見て。
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黒い岩が、1991年に噴火した時の新しい溶岩だとイワン。
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イワンと氷河。ランチボックスには必ず青リンゴが入っていた。
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1時間弱、ランチタイムとお鉢巡りを楽しむ。普段と違って風がなくラッキーだと言われた。
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火山性ガスはそこそこきつい。いつの間にかゴーグルとマスクで完全防備のイワン。
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下山にかかる。
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1カ所雪渓を渡る。今年はカムチャツカも暑い夏だそうで、例年より残雪が少ないのだそう。
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中間地点から振り返る。イワンは心ない登山者の残したペットボトルを拾ってザックに入れていた。
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あっという間に降りてきた。
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アバチンスキーの砂走り。中間地点より下では、登りルートと下りルートは完全に分けられていた。
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リクエストに応えて走ってくれるイワン。
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ロシア語でスキーアルピニズムと読む。他にもヘリスキー、ビキニでクロスカントリ-、スノーボードなどカムチャツカでもウインタースポーツは結構多彩らしい。
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スパシーバ、ダスピダーニャ。
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カムチャツカの火山群として1996年に世界自然遺産に登録された。核心部は2つの自然保護区と3つの自然公園からなる。アバチンスキーはナリチェボ自然公園の一部で世界遺産に含まれる。
キャプチャ


(続く)
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2012.8.5 カムチャツカ(3) やっぱり現金

エリゾボ空港ではゲートの外に出迎えの人々が3-40人ほど集まっていた。その中の2人の男女がツアー会社の名前を書いたボードを持って立っていた。

ドライバーのバージャと、スタッフのカーミャだった。車にスーツケースを積み込んでから、カーミャに一番気になっていた用件を切り出した。彼女の会社はクレジットカードに対応しておらず、現地で現金を渡す必要があったのだ。

日本を出る前に、レートが悪い成田での両替は最小限にして、現地のATMでルーブルを引き出した方が良いという噂を聞いていた。そしてエリゾボ空港にVISAの使えるATMがあることを知って、現地滞在費のほとんどをそのATMで用立てようと思っていたのだ。しかし初めて行くロシアで、それもカムチャツカでそれはどう考えても無謀な事だった。

飛行機が遅延して19時になろうという時間で、カーミャに頼んで案内してもらったATMはすでに取り扱い時間を過ぎていた。

呆然としていると、カーミャが市内のショッピングモールに行こうと言ってくれた。カムチャツカで一番大きいというそのモール内には全部で20台ほどのATMがあり、あれこれ試してみてなんとか必要最小限の現金を引き出すことができたのだった。

けれども1日の取り扱い金額に限りがあるようで、ツアー代金にギリギリ間に合うくらいの現金をかき集めるのが精一杯だった。

彼らのオフィスも入っているホテルに着いて支払いを済ませると、残りの現金はわずかに500ルーブル。日本円にして1300円ほどしかない。こんな事なら多少レートは悪くても成田でしっかり両替してくれば良かったと後悔しても後の祭りで、明日も山から下りたらATMに連れて行ってもらわないといけない。

到着して早々の失態で意気消沈したうえに、500ルーブルしか無いから明日のミネラルウオーター代も気になってレストランにも行けない。仕方なくホテルの部屋に入るとそのままごろりとベッドに横になった。

日本から持ってきた非常食を出して食べながら、自分の馬鹿さ加減を呪ってため息をつく。明日は一番楽しみにしていたアバチンスキー火山に登る日なのに。




エリゾボ空港に降り立つ。カムチャツカ半島最大の都市ペトロパブロフスク・カムチャツキーには、空港から車で2-30分。
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市内で一番大きなショッピングモール。なんとか現金を用立てる。
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カムチャツカ半島もソ連崩壊から20年以上が経ち、市内の道路はほとんど舗装され、万引き防止システムを備えたスーパーがあり、郊外の標高2700mの山に登っても携帯が通じるという、想像以上にモダンな都市であった。
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ガイザーホテル。内部はしっかりしていたが、外壁はボロボロ。ウラジオストクのホテルより2ランクくらい下。最初の2晩はここに泊まった。
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もちろんこのような古く汚い建物のほうがまだまだ多いのであるが、地の涯かと思った根室の納沙布岬より遙かに先のカムチャツカにこのようにに栄えた都市があること自体、驚きであった。
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(続く)
    08:12 | Comment : 4 | Top

2012.8.4 カムチャツカ(2) ロシア語デビュー

知っているロシア語と言えばどこかで覚えた、ダー(yes)、ニエット(no)、ダスビダーニャ(good bye)、スパシーバ(thank you)くらい。出発まで2週間を切っても「こんにちは」すら憶えられず、ロシア語でのコミュニケーションは絶望的だった。

ウラジオストクの小綺麗なホテルにチェックインすると、フロントもガードマンも英語使いで、レストランのラストオーダーの時間が近いことを教えてくれた。お腹が空いていたのでボルシチ目当てに早速レストランへと向かう。

カウンターの内側に女性2人とテーブルに男が2人。そろそろ仕事が終わる奥さんを迎えにきた旦那衆が遅い夕食をとっているという図だった。

私が入っていくとカウンターの中のひとりが鉄仮面のような表情で早口で何かを言ってきた。構わずにジェスチャーを交えて英語で「何か食べたい」と言ってみる。テーブルの一つを指すので「スパシーバ」と言いながら席に着くと、すぐにロシア語で書かれたメニューを持ってやってきた。ここの2人はロシア語しか話さないようなので、用意していた会話集を開く。

この超初心者用のロシア語会話集はとても良く出来ていて、写真や絵を指しながら相手とコミュニケーションが取れるように作られている。あらかじめ角を折ってマークしておいた「食べる」の部分が最も重要なページで、スープ、メインディッシュ、飲み物、などに分類されて、それぞれに日本語とロシア語、そして発音がカタカナで書かれていた。

ボルシチの写真を指しながら「ボールシ」と言うと、鉄仮面のようだったおばさんの頬の筋肉が少し緩んだように見えた。同じようにメインディッシュに肉料理と、飲み物にロシアビールを頼むと、ニコリと笑って下がっていった。

生まれて初めて食べる本場のボルシチをゆっくりと楽しんでから席を立つ。「フクースナ、スパシーバ(おいしかったです、ありがとう)」。おばさん、「バジャールスタ(どういたしまして)」。

目的を達した満足感に包まれて、いきなり飲んだビールのせいで少しふらつきながら、気持ちよく部屋へと引き上げたのだった。




こじんまりとしたベニスホテル。1泊3720ルーブル(1万円くらい)。多分高級なほう。
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翌朝国内線ターミナルに向かう。雨はあがった。
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チェックイン時にもe-チケットの英語を読めない係員との間で一悶着あったが、別の係員が出てきて事なきを得る。しかし5時間の遅延。原因の説明もほとんど無い様子だったのに、ロシア人は誰も怒り出さずに根気強く待っているのが印象的だった。
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4時間経過するとついに機内食が配られて、出発ロビーでいただく。魚の煮付けとお米の日本食に似ていてなかなかの美味。丸パン、黒パン、チーズ、サラミ、ブラックベリーは機内食のデフォルト。
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ようやく搭乗となり、ぞろぞろとタラップへ向かう。機体は今年アエロフロートに吸収合併されたウラジオストク航空の塗装のままのA320。ざっと見たところモンゴロイドは5~6名、ただし、多民族国家ロシアではモンゴロイドは珍しくないので、同胞と間違われてロシア語で話しかけられたりする。
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サハリンをかすめてカムチャツカへひとっ飛び、3時間。
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(続く)
    18:38 | Comment : 0 | Top

2012.8.4 カムチャツカ (1) ウラジオストク

冬の穂高連峰に消えた写真家の岡田昇さん。彼がカムチャツカを初めて訪れたのは今から21年も前の1991年、ちょうどソビエト連邦が崩壊した頃であった。その紀行文「カムチャツカ体験記~水と火と風の大地」が発刊されたのは岡田さんが遭難する2年前の2000年である。その本を読んでからというもの、機会があればいつかカムチャツカに行ってみたいと思っていた。

けれども日本とロシアとの間には北方領土問題があり、関係は思わしくない。震災時にはロシア空軍があたかも試すかのように日本の周囲を飛び回るのがニュースになっていた。
6月末には現地旅行会社にツアーの予約をして、航空券や査証の手配を整えていたのだが、7月に首相のメドベーチェフが国後島に飛んできて日本人を挑発をするのを見てからは、正直言って半分行きたくなくなってしまっていた。

それでも予定通りに8月4日土曜日午後、成田からウラジオストク行きのシベリア航空に乗り込むと周囲の乗客はほとんどロシア人。客室乗務員を含めてクルーも全員ロシア人で、そこはすでにほとんど日本語の通じない世界だった。

フライトタイムはわずかに2時間半。飛行機はどんどんと雲の中を高度を下げていき、あっというまに雨のウラジオストク空港に降り立つ。ほとんど列の最後で入国審査を済ませると、「タクシー、タクシー」とささやきながら付きまとってくる男を避けるように外へ出た。今夜は空港の目の前のホテルで過ごして明日カムチャツカに入る予定である。東京から西に飛んだのに、何故か時計を2時間進める必要のあるウラジオストクは21時で丁度日没という感じであった。


成田で、なかなか良いカラーリングのシベリア航空A320に乗り込む。
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ウラジオストク空港に着いたがボーディングブリッジは無い。
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入国審査官は3人で、時間がかかる。
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ホテルからの撮影。左手のこじんまりとした建物がターミナル。明るかったのでホテル外壁に書かれた「HOTEL」の文字が読めたから良かったが、真っ暗だったら辿りつけなかったかも知れない。
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(続く)
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2008.9.17 NZの交通ルール

日本車も多くて,左側通行のNZ.余り違和感なく走れるけど,いくつか戸惑ってしまう違いがあった.

まず,比較的大きな交差点でも信号が無くて,ラウンド・アバウト(日本で言うロータリー)が多いこと.
↓輪の中に入っている車が最優先.それが切れたところで輪に入る.直進の場合も,一度輪に入って,二つ目をEXITする,という.
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↓次は赤い右矢印.上も下もこれが出ているときは右折してはいけない.
右折していいときは,青矢印がでる.
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もうひとつ,大事なこと.写真には撮れなかったけど,説明すると,
信号のあるなしにかかわらず,交差点で自分が左折しようとしているとき.
前方から対向車が,右折して自分と同じ道路に入ろうとした.
日本ではこの場合,自分が優先だけど,ニュージーランドでは相手方が優先.
これを知らなくて,オークランドではひどくクラクションを鳴らされた.

↓おまけ.踏切で一時停止をする必要はない.
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    21:53 | Trackback : 0 | Comment : 1 | Top

2008.9.14 ただいまー

朝5時(日本時間午前2時)にホテルから乗り合いの送迎バンが出た.

オークランド国際空港は朝早くからあちらこちらへ向かう旅人で混雑.
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キャセイ508便は定刻に出発.香港までまた11時間の長旅.
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座席の上でエビの様に縮まって,右左と所在なく,くねくねとして眠る.

午後,香港でトランジット.
時間がほとんどないのに,巨大空港のはずれたところにあるキャセイのゲートまで10分以上も歩かされる.
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時間ぎりぎりで成田行きに搭乗すれば,乗客もクルーも日本人が多くて,もう帰国したかのような錯覚.

機内食を慌ただしくとって,この1週間のことを思い出していたら,あっという間に成田だった.

22時30分,車を受け取り,来た道を戻る.仙台到着は27時.オークランドからまるまる1日かかって帰宅. 
ただいまー.
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    13:47 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

2008.9.13 オークランド

2330,オークランドからです.

ファカパパは今日も朝から冷たい霧雨。530に起床して様子を伺っていたけど、日がのぼっても変わらない。午後から天候回復らしいけど、夕方には300km以上離れたオークランドにいたい。残念だけど潔くスキーはあきらめて830にチェックアウトした。時間が空いた分はワイトモのツチボタル見学ツアーにあてる。

↓上は悪天だけど,午後から晴れるとの予報を聞いて,続々と登ってくる地元のスキーヤーとボーダー.
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↓のんびりドライブ.ワイトモまで120km.途中,ガソリンが少なくなりとても焦る.
地元の人は予備タンク持って歩いているみたい.途中でとまったら大変だもんねー.
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↓中は撮影禁止のツチボタル見学.
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どこまでも牧歌的な景色に飽きる事なく、ゆっくり帰る。町から町へ数十キロはガソリンスタンドも商店もない。戸外の自販機なんてオークランドでさえ見かけないので最初は不自由を感じたけど、そんなことにもだんだんと慣れてくる。
次にたどり着く町の小さな店でやっと手に入るラテが、とてもありがたく感じられた。

↓ようやく晴れてきた.
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↓ハミルトン近くの町でコーラと油モノを買う.
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↓フィッシュ・アンド・チップ,NZではきわめてよくある,おやつのようなもの.
魚はホキという白身の魚.モスバーガーのフィッシュバーガーで使っているモノと同じ種類.
あれはニュージーランド沖のホキを使っているのだそうだ.
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↓ハミルトンーオークランドの間はハイウェイが通っていて,人口も多い.
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↓オークランドに着く頃には晴れ間が戻ってきた。
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↓夜食.地元のビールTui は軽めで飲みやすい.
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日が落ちると日本では見たことのない星空。
南十字星を探したけれど、月が昇ってしまってよくわからなかった。

なんだかあっという間の5日間だった.
天候には恵まれず,スキーもダメだったけど,かなり楽しい旅だった.

やっぱり2週間くらいかけてのんびり回りたいね,出来ることなら.


    20:26 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

2008.9.12 ファカパパビレッジ2

2330ファカパパより.

今日も天候は回復しなかった,午前中は様子を見にスキーエリアまで登ったけど,
濃い霧で上部ゲレンデはクローズ.
天気がよければバックカントリーツアーに参加しようと思っていたけど,ゲレンデコンディションすらおぼつかない.

午後に期待して,ファカパパビレッジまで戻り,ビジターセンター見学や買い
物で時間をつぶす.

結局午後も同じで,まあ運が悪いの一言.
なにもしないで帰る手もないので,ガスの中,ちょっとだけ滑ることにする.
天気には勝てないよ.明日はオークランドに帰る日.やっぱりダメだろうなー.


↓ビジターセンターでは毎日,雪崩危険情報を発信.オーストラリアのバックカントリースキーヤーが情報を求めに来ていた.
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↓ビレッジの上の道路.4WDかチェーンがないと上の駐車場まで行けないですよ,との案内.
レンタカーを借りるときは注意が必要.
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↓標高1500mを超えて,雪が増えてくる.
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↓標高1700mのゲレンデボトム.ベースのロッジは小さなものが1軒あるだけ.
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↓霧の中,初心者コースでがんばっているのは地元のキッズスクール.
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↓メディカルセンターはあるけれど,ゲレンデそのものの安全確保はあまりなされていない.
ゲレンデ内でも自己責任が要求される.リフトはすぐにクローズになるけど.
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↓なにもしないで帰るわけにはいかない.霧とみぞれのゲレンデを滑ることにする.
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↓ゲレンデの名前はロックガーデン.本当に岩が点在していて,危ない.ネットのない向こう側は崖.
NZのスキー場は日本では考えられないリスクあり.
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↓雪が青い!標高が高いんだね.
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↓ゲレンデのど真ん中に点在する岩.旗も囲いもない.
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明日,午前中がだめなら,あきらめて帰るしかないねー.
    20:41 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

2008.9.11 ファカパパビレッジ

こんばんは.ただいまファカパパビレッジです.
時間は2300.日本時間2000.

9/11朝6:30,天気は次第に下り坂.低気圧の進み方が遅い.
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↓ブラックスワンが浮かぶロトルア湖の湖面も波立ち,重い雲がたれ込めている.
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これじゃあ,スキーどころではなさそう.明日か明後日には天候が回復することを祈って,今日は観光に徹することにした.

↓チェックアウトしてから羊ショー.観衆の目の前で一頭が丸刈りにされるパーフォーマンス.
結構えぐい.
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↓一頭刈り終わって,興奮したパーフォーマーがなんだかさらに恐い.
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↓マックで昼ご飯のあと,初めて給油.セルフだけど,ガソリンがでてこない!初めに店内に入って油種と量を店員に伝えて,終わってからまた店内で支払いをするシステム.レギュラー1リットル2ドル,150円ほど.
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↓シンクロナイズド睡眠INGー.
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↓ワイオタプ地熱地帯.降ったりやんだり,忙しい天気.
遊歩道脇の温泉群(当然入れない)は見事.玉川も河原毛も負けたー.
途中で雨が強くなって,半分だけ散策.
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↓あとはまた国道を時速100kmですっ飛す.
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↓雨の中,草をはむ羊,羊,羊・・・
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↓トンガリロ国立公園に入っていく.大雨で道路も冠水.
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↓赤っぽくみえるのは見たことのない草.人工の構造物が全く見あたらないトンガリロ国立公園の荒涼とした大地.
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↓今日の宿泊地,標高800mのファカパパビレッジ入り口.気温は5℃から10℃.これを登るとルアペフ山.ファカパパスキーエリアになる.
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昨日はオークランドからロトルアまで250km,今日はロトルアからファカパパまで220kmの運転.
不慣れな外国ではこれくらいが丁度いいみたい.
明日の天気がすごく気になるところです.   では,おやすみなさい.
    20:06 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

2008.9.10 ロトルア

朝7時に起床.昨日の夜,オークランドでも数少ないコンビニで買っておいた,マフィンとミルクで朝食.

9時にチェックアウトして,市内のニューマーケットに向かう.
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日本を出るときは,雨の予報だったけど,昨日も今朝も,晴れている.午後は途中でちょっと降られたけど,最後はまた日が差していた.

ニューマーケットでちょっと買い物.適当に迷子になりながら,なんとかフリーウエイに入ると,朝の渋滞.国の人口の3分の1が集中するオークランドは,自分にはちょっと都会過ぎる.
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郊外に出ると,だんだんニュージーランドらしい景色に変わっていく.
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ハミルトンでフリーウエイを降りて,マタマタというところへ.ここは実は,ロードオブザリングのホビット村の撮影地.本当にホビットが出てきそうな,のどかな田舎町だ.(像はゴラム)
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ツアーには参加せず,今日の予定地,ロトルアを目指す.
ちょっとした田舎道なんだけど,制限速度がみんな100km.集落のあるところだけ,70とか50とかになっていて,みんなすさまじく飛ばしている.事故,多くないのかな.
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ロトルアでは気温10℃を下回り,ちょっと寒い.市内をちょっと回ってみたけど,結構店が閉まっている.
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6時半に2軒となりの,マオリショーへ.


同じテーブルには,オーストラリア人の夫婦と台湾からの若い女性.
ほかには,アメリカ,イギリス,南アフリカ,ラトビアからと,地元ニュージーランド人の観光客.

酔いがまわれば,○×△!?と適当に,国際交流.
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最後はみんなで,手をつないでマオリの踊りを踊ってお開き.

お酒もいい感じに入って,楽しいロトルアの夜でした.  続く


    20:06 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
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PIKANDA

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