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PIKANDA PART2

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2011.9.18 羊蹄山トレイル(3) 真狩温泉にゴール

明けて月曜の朝4時。ほとんどの登山者は目を覚まして準備を始めている。外は残念ながら昨日とほぼ同じでガス。風はむしろ昨日より強い。

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4:50 1675m まずは空身でお鉢を回ることにして小屋を出る。25分ほどで火口縁に出たけれど、火口の中どころか数十メートル先も見えない。
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5:45 1898m お鉢を時計回りに歩いて山頂に到達したあとは、そのまま直進して岩登りコースで回る。
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火口縁から降りるころにガスの切れ目から洞爺湖と真狩の町や畑が一瞬見えた。
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6:35 1675m 急いで歩いたけれど一周するのに1時間45分ほどかかっていた。小屋に戻ってザックを背負い、午前7時に真狩コースを降り始める。
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標高1100mほどのところから洞爺湖と真狩村。遠く内浦湾の向こうには駒ヶ岳が浮かんでいた。
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ウエストポーチに付けたプロトレック。標高465mまで降りてきても気温11℃。汗が引くと身体が急速に冷えていく。
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9:42 400m 真狩コース登山口まで降りてきた。ここからまた4kmほど歩いて真狩温泉へと向かう。トウモロコシが収穫の時期を迎えている。道ばたの無人直売所で3本で50円というトウモロコシを見つけてどうしても欲しくなり、3本をザックに入れて仙台まで持って帰ることにした。
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11:00 230m 真狩温泉に到着。歩行距離は1日目の比羅夫駅から羊蹄小屋まで9.5km、2日目のお鉢巡りと真狩温泉までの下山が15kmであった。

露天風呂につかって降りてきた羊蹄山を見上げる。山頂は相変わらずガスがかかっている。

風呂上がりにビールを一缶開けて、それからタクシーを呼んでもらいニセコ駅へと向かう。

長万部行きが出るまでまだ1時間半ほどあったので、今度はニセコ駅前温泉でもう一風呂浴びる。
上がり際に、昨日羊蹄小屋で一緒だった札幌のtomoさんとバッタリ。彼も真狩コースで下山したとのことで、昨日の比羅夫駅からほぼ同じルートを歩いてきたことになる。

ニセコではSLが運行されており、先に出発した私はこれを見ることができなかったのだが、親切なtomoさんに後から送ってもらったのであった(↓)。tomoさんありがとう。
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函館へと向かう特急の車窓から、内浦湾を挟んで雲の上にちょこんと頭を出して羊蹄山。今年はもうシーズンオフだけれど、晴れた夏の夕暮れ、日本海に沈む夕日を見るために羊蹄小屋を再訪したいと思う。そんなふうに、再訪しなければいけない場所が次ぎつぎと増えていくのだった。
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(完)
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2011.9.17 羊蹄山トレイル(2) 羊蹄小屋

朝9時、半月湖そばの羊蹄山ヒラフ口。雨がぱらついてきたので雨具をつけ、明日の好天を信じて登ることにする。登山届けは台帳式になっていて、パラパラとめくるとこの天気にも関わらず朝から13組が入山していた。

登り始めてしばらく行くと、クマ鈴をガラガラ鳴らし何やら雄叫びを上げながら、マウンテンバイクで駆け下りてくるのが居る。「登山道や高山植物を痛めないようにストックはなるべく使わないで」と書いてあったので、こちらはポールを畳んで気を使って歩いているのにマウンテンバイクとは、と唖然とする。

すれ違いざまに「こんっちわっ!」と言われたけれど、あまりの事に挨拶を返す気にはならない。そのスタイルで羊蹄山ならクマ鈴は無用だろうと、呆れながら登っていった。

着々と高度を上げてやがてガスの中へ入ると雨がひどくなってきた。早立ち日帰りの人とすれ違うようになるとやがて山頂と羊蹄小屋への分岐。雨雲に煙って見えない山頂は明日に回すことにして、さっさと小屋へ入ることにした。


入り口を閉めると中は薄暗い。土間でザックを下ろし濡れた合羽を脱ぐ。もう一枚扉を開くと綺麗な板敷きの1階フロアで、そこにいた白髭の管理人さんが不機嫌そうに、「何、日帰り?」とぶっきらぼうに聞いてきた。何か迷惑なのかな、と思いつつも宿泊希望であることを伝えると、ようやく色々と案内を始めてくれたのだった。最初は少し偏屈なのかと思ったけれど、次々と小屋にやってくる登山者を相手にこの人なりの手順を踏んでいるようだった。

「前線は東北まで下がったけれど、これから寒気が入ってきて、もしかしたら今夜半から雪かみぞれになるかも知れない」と天候の悪化について警告してくれた。確かに、北海道の山では9月半ばを過ぎると初冠雪することもあるのは常識だった。それでも雪は困るなあと自分も携帯で気象情報をあさる。

少しすると雨風を避けて食事をしたい夫婦が小屋にやってきて、相変わらず同じように不機嫌そうに「何、日帰り?」と聞かれている。2人とも恐縮したようにして休んでいった。

次に着いたのは札幌からの単独の男性。「今夜から雪かみぞれになるかも知れない」とまた、自分と同じように教えられている。

休憩の夫婦が雨の中に出ていくとまた、食事をしたい4~5人のグループが訪れる。「寒気が入ってきて雪かみぞれになるかもしれないよ」と、同じ事を根気よく教えているのだったが次第に調子が出てきたようで、最初のころよりも饒舌になってきた。この管理人さん、1週間毎の交替で今朝入山したばかりだったとのことであった。


薄暗くなる17時ころまでには6グループほどが到着して、悪天候の羊蹄山で今日は十数人の登山者が同宿ということになった。

夕刻には晴れて雲海が見えるかもしれない、という管理人さんの予測は残念ながら外れてしまい、ガスと雨が残ったまま日没の時間となった。

最後の若い3人グループは20時を過ぎての到着でさすがにちょっときまり悪そうにしていたが、ガチャガチャと慌ただしく夕食を取って、21時前には小屋の全員が寝る体勢に入った。


(つづく)


↓9:00 350m 雨の降り出したヒラフ口。標高350m
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↓登山口から9合目まで3時間40分というコースタイムは結構シビア。
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↓2合目・風穴付近。
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↓3合目付近から倶知安の町を見下ろす。
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↓ガスの中に入ってきて、雨風が強くなってきた。
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↓8合目付近からはもう紅葉が見頃になっている。
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↓13:00 1675m 羊蹄小屋。平屋に見えるけれど屋根裏にも泊まれる。この日は屋根裏にも数人入った。
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↓右のトラロープに汗でびっしょりになったズボンとTシャツを干す。シャツは速乾性であるはずなのに、朝まで乾かなかった。天井にはこれまでに宿泊した登山者の置き土産が多数飾られていた。
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↓ガスは日没まで撮れなかった・・・。
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2011.9.17 羊蹄山トレイル(1) 比羅夫駅からスタート

3人で予定していた八ヶ岳の縦走は金曜午後の時点で中止に決定。南のほうは結局土曜は悪かったものの、日・月は晴れていたらしい。悪い予報のために出控えたときに限って晴れたりする・・・。


急に予定が無くなってしまったので、土曜はいろいろと家事などしながら日中を過ごしたけれど、この連休を逃すとしばらく遠出できないことになっているので気持ちが滅入ってしまった。今日明日は雨でもいいから、早く回復しそうなところはないかとネットで衛星の雲の動きを追いながら悪あがきしてみる。

ちょうど青森のあたりにある停滞前線も北から高気圧に押されて下がってきて、北海道はこのあと曇りから晴れる予報であった。気温は下がるようではあるけれど、以前から暖めていた羊蹄山行きを決行することにした。



今回はいつもと違って車ではなくJRの旅。着替えも山靴も食料も水も、なるべく途中で買う必要がないように全てザックに詰め込んで仙台駅へと向かった。

20時18分の新幹線に乗り、津軽海峡線に乗り継いで長万部には日曜朝の3時過ぎ。青森では雨に降られたけれど、ちょうど前線の雨雲の下を通ってきたようで、長万部は降っていなかった。ここからタクシーで登山口まで行くにはちょっと遠くて運賃もかかりそうなので、6時のニセコ方面行きの始発が出るまで3時間あまり待つことにした。

まだ夜の明けない長万部の町。風は少しだけ冷たい。駅から歩いて5分ほどのコンビニだけが開いている。そこで行動食用に、おにぎりとパンを数個買い込んできて改札前の4人掛けの椅子で幾つかを口にした。それから、ちょっとでこぼこなそのベンチの上でそのまま1時間以上も眠ってしまった。いつでもどこでも眠れるというのは数少ない取り柄の一つだ。


比羅夫駅には6時42分着。曇天で今にも降り出しそうではあるけれど、気持ちは晴れ晴れと羊蹄山に向けて歩き始めたのであった。

(つづく)


↓9/18午前3時過ぎに長万部で「急行はまなす」を下車。ここで降りたのは他に1人だけ。
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↓今回はトレッキングのスタート地点を標高160mの比羅夫駅とした。ここから登山口までは国道5号を越えて1時間弱の歩きになる。山頂との標高差は1800m以上あり結構ハードだ。
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↓小雨が降り始めた半月湖への道。晴れていれば正面に羊蹄山が見えるはずだけど・・・。
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2011.9.11 三斗小屋温泉に行きたい(3) 煙草屋旅館の女将さん

テントを張って遅い昼食をとり、落ち着いた時分にひと風呂浴びに行くことにした。

露天風呂には外からショートカットしないようにと言われていたので、玄関から入って正規ルートをとる。タオルを持ってこなかったので一枚購入しようと思い、ちょうど目の前に出てきた女将さんに売りもののタオルがないかと尋ねてみた。

「ああ、テント」、と顔を憶えてくれたようで「なんだい、タオル持ってこなかったのかい。テントは可哀想だから余っているのをあげるよ。」と、小銭を出したのを受け取ろうとせずに、一枚分けてくれたのだった。わざわざビニール袋から出して手渡してくれたのは、ゴミに困らないようにとの細やかな心遣いであった。

好きこのんでテントなんだけど・・・とは言わずにありがたくこのタオルを頂戴した。それ以後、女将さんは顔を合わせると私の事を「テント」、と呼んであれやこれやと世話を焼いてくれるのだった。履き替えたサンダルまで「それじゃ小さいだろ、こっちの大きいのにしな」、と。
そして、「玄関は一晩中開けておくから夜中も入りにきなよ。星がすごいんだよ・・・。」



10人くらい動かないで静かに浸かっている露天風呂をさっと浴びて、一度目は早々に出てきた。テントに戻ってもう1杯アルコールを入れると、あっという間に眠くなってしまった。

うつらうつらしていると次第に暗くなってくる。完全に日も落ちるとしばらくの間は各部屋に明かりがついて、時折騒がしい声が響いてくる。それも夜9時の消灯時間を過ぎると急に話し声もしなくなってしまった。時折パッと空が明るくなって遠雷が低く響き、小雨がぱらついてきてテントに当たる。


浅い眠りを繰り返していると、夜中の2時頃にトイレに行きたくなって完全に目が覚めてしまった。

外をのぞくと残念ながら星の一つもない闇夜だけれど、「夜中も入りなよ」という女将さんの言葉を思い出して、トイレを借りに行くついでにもうひと風呂入ることにした。

ヘッドランプを点けて闇の中を宿の玄関に向かう。女将さんの言った通り鍵は掛けられていなかった。

靴を脱いで廊下に上がると、障子を閉められた部屋の前にちょこんと小さな履き物が1人分だけ揃えておかれていた。そこで寝ているであろう人を起こさないように出来るだけそっと露天風呂へと抜ける。

湯船に浸かってヘッドランプを消すと、漆黒の中を流れ落ちる湯の音と秋の虫の声しかしない。女将さんの言うとおり、良く晴れた新月の夜にはきっと素晴らしい体験が出来るのであろう。


いつまでも入っていたいような気がしたけれど、ほどよいところで湯から上がり、そっとテントに戻った。

翌朝5時すぎ、まだ薄暗い中をテントを畳んで隠居倉へと登り始めた。朝食の準備で忙しいであろう女将さんには顔を合わせずに宿を後にした。

お世話になったお礼をいうために、今度は、星の綺麗な夜を狙って訪れてみようと思う。



(完)

消灯前の煙草屋旅館
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翌日はガスの中を三本槍岳、朝日岳と巡って下山
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2011.9.10 三斗小屋温泉に行きたい(2) 煙草屋旅館のテン場

ロープウェイを使って昼前に那須・茶臼岳に上がると風もなく、沢山の人が旧火口を周回している。そこから30分ほどで峰の茶屋に下りると、ここでも多くの人が思い思いに休憩を取っていた。

気温が上がって入道雲が出てきて午後には雷が鳴りだしそうな気配。自然に足は三斗小屋温泉に下る谷道に向かった。最初は急だった道もやがて緩やかになり、木漏れ日の中の苔むした登山道は茶臼岳や峰の茶屋の喧噪が嘘のように静かだ。

斜面から勢いよく噴き出す延命水の水場を過ぎると幅のある広い道になり、思ったよりあっけなく三斗小屋温泉に着いてしまった。

大峠のほうから歩いてきた若い男女と前後して煙草屋旅館の前に立つ。彼らが先に女将さんとやりとりしている間、中に入らずに待っていた。女将さんがこちらに顔を向けて目が合ったところで軽く会釈して玄関に入った。

テントを張らせて欲しいことを話して、風呂やトイレを使わせてもらえるかどうか念を押してみると、
「ああいいよ。1500円。露天風呂も24時間入っていいし、中のトイレも夜中でも自由に使っていいよ。」と、とても気っぷのいい女将さんなのであった。

先の若い2人のうちの男のほうが私と女将さんのやりとりを聞いて、自分達もテントを持ってくればよかったとしきりに言うので、連れの女性は少し不機嫌そうになってしまった。旅館のほうのその日の宿賃は1泊2食8500円とのことであった。


三斗小屋温泉の2軒の宿は、素通りする登山者にはかなり素っ気なくて、日帰り入浴はやっていないしトイレも自由には使わせてくれない。だから、テント泊では風呂やトイレに制限があるかもとちょっと心配していたのだが、そんな心配は全く無用であった。

「煙草屋旅館第2別館」の前に3張りほど設営可能なスペースがあり、谷側は生け垣のようになっていて展望はないけれど、丹念に石を除いてきれいに整地されている。その上に短い草が生えていてテントを張る場所としては申し分ない。

那須の山中で幕営指定されている場所はどこにも無いのだけれど、この宿の敷地内に限ってテント泊が可能だということを知ってわざわざ担いできたのだった。自分のスペースが無くならないかと心配して急いで谷を下りてきたのだけれど、結局その日の幕営者は自分だけであったので、きれいなテン場の真ん中に張らせてもらった。

週末とあって宿のほうには泊まり客が次々と到着して、夕食の時間を知らせる名物のドラが鳴るまでに20人以上は投宿したようであった。


(つづく)

茶臼岳山頂
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茶臼岳より噴気口を見下ろす
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茶臼岳より峰の茶屋
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峰の茶屋より三斗小屋温泉へ
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なにはともあれ、缶ビールを1本買って飲みながら宿の敷地内にテントを張る。
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2011.9.10 三斗小屋温泉に行きたい(1) 今は昔の・・・

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↑那須・三本槍岳から秋色に変わり始めた山の風景 2011/9/11


那須の山奥に三斗小屋温泉というところがある。
現代ではロープウェイのかかる山麓の駐車場から山道を2時間も登り下りしてようやく辿りつく場所なのだが、昔の人は会津中街道という廃れた古街道にあった同じ名前の宿場(三斗小屋宿)から東に2キロメートル、標高差で400メートルほど山道を分け入って達していた。温泉そのものは1143年の発見とのことなので、街道造営よりもはるかに歴史は古い。
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もともと、栃木県の今市から会津田島に抜ける道は会津西街道と呼ばれ、藩政の頃から現在も関東と会津を結ぶ重要な街道である。その会津西街道が元禄の地震で通行不能になった際に、代替として整備されたのが今回の話の会津中街道である。


会津中街道が街道として機能したのは1695年から1704年までのわずか9年間だけであった。西街道の復旧により中街道は廃れ、現在では宿場も道もほとんどが草木に覆われてしまっている。三斗小屋温泉から北にある大峠は中街道の国境の峠で、会津藩主と越後藩主が参勤交代のために実際に通ったところだった。Machiさんのレポに出てきた大峠の地蔵は中街道を通る旅人の安全を祈念するために置かれたものなのであろう。

大峠から下野側に入って最初の宿場が三斗小屋宿である。今は朽ち果ててしまったこの宿場は、会津と下野の間の往来が無くなってからも茶臼岳への修験者や三斗小屋温泉への湯治客で行き来があった。そうした平和な時代が100年以上も続いた三斗小屋宿も、文明開化の声を聞き戊辰戦争が始まると悲劇的な歴史の舞台となってしまう。

三斗小屋宿は北上してきた官軍を迎え撃つ会津軍が駐屯していて激戦地になりすべてが焼き払われてしまう。戊辰戦争後になんとか再興したものの、やがて衰退して昭和32年にとうとう無人になってしまった。


現在、三斗小屋温泉を目指す人はほとんどが那須湯元から「峠の茶屋」の駐車場に入り、登山道を歩いて標高1730mにある「峰の茶屋」という風の強い峠を登り降りしている。古い街道を通って三斗小屋宿跡から三斗小屋温泉に向かう人などは宿の関係者以外はほとんどいない。

「峰の茶屋」を通る現代の主要なルートにしても、ある程度の登山装備が無いと夏でもそこを目指すのには躊躇するだろうし、冬は経験のある限られた人しか行くことができない。

実際、2年前(2009年)の正月に三斗小屋温泉を訪ねて行った人が峰の茶屋付近のアイスバーンで滑落死する事故があった。さらにその3ヵ月後には同じく峰の茶屋に向かって歩いていた人が茶臼岳斜面からの雪崩で亡くなっている。

そのくらい辿りつくことが困難な湯治宿のある三斗小屋温泉にいつか行ってみたいと常々思っていたのだった。

(つづく)


2軒の旅館は郵便物も配達されない僻地扱いで、冬には近付くことすら難しいのに通年営業している。
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↑煙草屋旅館

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↑大黒屋旅館

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