2011.9.10 三斗小屋温泉に行きたい(1) 今は昔の・・・

↑那須・三本槍岳から秋色に変わり始めた山の風景 2011/9/11
那須の山奥に三斗小屋温泉というところがある。
現代ではロープウェイのかかる山麓の駐車場から山道を2時間も登り下りしてようやく辿りつく場所なのだが、昔の人は会津中街道という廃れた古街道にあった同じ名前の宿場(三斗小屋宿)から東に2キロメートル、標高差で400メートルほど山道を分け入って達していた。温泉そのものは1143年の発見とのことなので、街道造営よりもはるかに歴史は古い。

もともと、栃木県の今市から会津田島に抜ける道は会津西街道と呼ばれ、藩政の頃から現在も関東と会津を結ぶ重要な街道である。その会津西街道が元禄の地震で通行不能になった際に、代替として整備されたのが今回の話の会津中街道である。
会津中街道が街道として機能したのは1695年から1704年までのわずか9年間だけであった。西街道の復旧により中街道は廃れ、現在では宿場も道もほとんどが草木に覆われてしまっている。三斗小屋温泉から北にある大峠は中街道の国境の峠で、会津藩主と越後藩主が参勤交代のために実際に通ったところだった。Machiさんのレポに出てきた大峠の地蔵は中街道を通る旅人の安全を祈念するために置かれたものなのであろう。
大峠から下野側に入って最初の宿場が三斗小屋宿である。今は朽ち果ててしまったこの宿場は、会津と下野の間の往来が無くなってからも茶臼岳への修験者や三斗小屋温泉への湯治客で行き来があった。そうした平和な時代が100年以上も続いた三斗小屋宿も、文明開化の声を聞き戊辰戦争が始まると悲劇的な歴史の舞台となってしまう。
三斗小屋宿は北上してきた官軍を迎え撃つ会津軍が駐屯していて激戦地になりすべてが焼き払われてしまう。戊辰戦争後になんとか再興したものの、やがて衰退して昭和32年にとうとう無人になってしまった。
現在、三斗小屋温泉を目指す人はほとんどが那須湯元から「峠の茶屋」の駐車場に入り、登山道を歩いて標高1730mにある「峰の茶屋」という風の強い峠を登り降りしている。古い街道を通って三斗小屋宿跡から三斗小屋温泉に向かう人などは宿の関係者以外はほとんどいない。
「峰の茶屋」を通る現代の主要なルートにしても、ある程度の登山装備が無いと夏でもそこを目指すのには躊躇するだろうし、冬は経験のある限られた人しか行くことができない。
実際、2年前(2009年)の正月に三斗小屋温泉を訪ねて行った人が峰の茶屋付近のアイスバーンで滑落死する事故があった。さらにその3ヵ月後には同じく峰の茶屋に向かって歩いていた人が茶臼岳斜面からの雪崩で亡くなっている。
そのくらい辿りつくことが困難な湯治宿のある三斗小屋温泉にいつか行ってみたいと常々思っていたのだった。
(つづく)
2軒の旅館は郵便物も配達されない僻地扱いで、冬には近付くことすら難しいのに通年営業している。

↑煙草屋旅館

↑大黒屋旅館
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