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PIKANDA PART2

カムチャツカ余録(4) おしまい

北緯53°の緯度にあるペテロパブロフスクの1月の平均気温はマイナス11℃からマイナス6℃程度で、それほど低くならないらしい。もっと南にあるウラジオストクのほうが大陸性気候で寒いのだとか。

日露戦争後に周辺では北洋漁業が盛んになり、日本人も居住していたペトロパブロフスクには日本領事館が置かれ、1921年からは函館とカムチャツカとの間を行き来する定期航路が戦前まで存在していたらしい。

日本とロシアの関係は微妙だけれど、カムチャツカに関して言えばサハリンなどよりははるかに日本に対しては友好的な土地柄だという。東京からは不定期ながら直行便で3時間程度で着いてしまうから、台湾に行くのと大して変わらない。

漁業以外には観光くらいしか産業もないため、世界中からもっと観光客が来ることが期待されているようだ。世界自然遺産に登録されてからは日本の旅行会社もツアーを手がけるところが多くなってきたので、割と簡単に訪問できる。日本の会社のツアーでは日本語通訳が付くのでコミュニケーションで困ることはほとんどない。北方領土問題を早く解決して、もっと往来が増えることを実はロシア人も日本人も双方が望んでいるのだ。

初めてカムチャツカを訪れて、インフラの整備状況も悪くないと思った。そしてペトロパブロフスクから一歩離れると、そこは日本の国土よりも広い面積が手つかずのままの大自然なわけで、今回のようにプログラムされたツアーに参加しただけではその魅力を十分に堪能したとは言えないだろう。

近くて遠いカムチャツカであるけれど、いつかまた訪れてみたいと思う。


北海道から1500km。
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90年前には函館との間に定期航路があった港湾都市。
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空港へ向かう車中からの数枚。地震が多いので建物の高さには制限があるのだとか。中層のアパートが多かった。
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ガソリンはレギュラー1リットル約80-90円。
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町から見える火山はもう世界自然遺産の一部で、ナリチェボ自然公園内である。
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カムチャツカ余録(3) ビザと滞在証明

ウラジオストクのホテルにチェックインした際に、ホテルの予約を一切せずにバイカル湖まで行くという日本人大学生に会った。20時半を過ぎて暗くなってきたというのに「地球の歩き方」を片手にした彼は満室を理由に宿泊を断られていた。空港で夜を明かす積もりだったのに追い出されて出来なかったと言っていたが、彼は無事に旅を続けることが出来たであろうか?

ロシア旅行には観光ビザが必要であるが、近くにロシア大使館または領事館の無い地域に住んでいると、平日に仕事を休んで申請と受け取りの2度も窓口に行くのは大変である。手続きにもバウチャーや旅行会社のインビテーションが必要だったりして、まともにやろうとすると相当に面倒臭い。

旅行の1ヵ月前には航空券の手配と、バウチャー、インビテーションの用意は出来たのだが、やはり大使館に出向くのが難しかった。そこでネットで検索をすると、余計な書類不要でロシアのビザ取得を代行してくれるという会社があったので、多少不安ではあったもののそこに頼んでみることにした。結果として、この会社を通じて取得したビザで全く問題なくロシアに出入りすることができた。こうなると滞在証明の問題は残るものの、確かに自由旅行も出来そうではある。

カムチャツカについて言えば、20年前まで自国民でさえ自由に立ち入ることの出来なかった軍事的に重要な地域であり、今もミグ戦闘機が並ぶエリゾボ空港に着いた際は出口に歩哨が立っていて、到着時の様子を撮影するのもちょっと控えたい雰囲気であった。帰りの飛行機に乗るときにはカウンターで職員がパスポートの名前を何かのリストで照合しており、まるでカムチャツカ入りした外国人がちゃんと帰りの飛行機に乗ったかどうかをチェックしているような感じであった。


代行会社に依頼して取得したビザ。バウチャーもインビテーションも必要ないなんて大丈夫かと思ったが、ホンモノだったようで無事に入出国出来た。
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現地で旅行会社から渡される滞在証明。「滞在証明を持っていないことを悪徳警官に咎められると法外な罰金を要求されたりトラブルになることがある」と、例の旅行書には書いてあったが、提示を求められることは無かった。
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カムチャツカ余録(2) メイド・イン・ジャパン

ロシア人も結構カメラが好きみたいで、一眼レフを持った人が5人。ニコンとキャノンがやはり多く、ペンタックスはさすがに自分以外には見なかった。ほとんど全員コンデジを持っていて、キャノン、ソニー、富士フイルム、オリンパスなどを確認したが、他もほとんど日本のメーカーのものと思われた。

ペトロパブロフスク・カムチャツキーには片側2車線の道路もあるし車も結構多いのであるが、ざっとみたところ95%くらいが中古の日本車であった。右側通行の国でほとんどが日本仕様の右ハンドルを運転しているものだから、追い越しは非常にやりにくそう。政府もこの状況は好ましくないと思っているけれどね、とガイドのコースチイは教えてくれた。

キャンプ地の夕食では先の大震災の話題も振られたのであるが、スロバキア人のケイトには「何故あれだけの大災害に遭っても人々の秩序が保たれたの?」というような事を聞かれた。実際には略奪や犯罪行為も発生していたので一瞬返答に窮したのだが、「それが日本人の文化なのかも」と答えると、その場にいたみんなが大きくうなずいたのが印象的であった。

そんな感じで概ね日本の評判は悪くないのであるが、有名な英文のカムチャツカ・レビューには日本人について以下のように表現されている。
「最近、極東ロシアには日本人男性がロシア人売春婦を買うためにやってくると噂になっているが、どうやらそれは本当だったようだ・・・。」
一部の恥知らずのせいで全体の評価が下がってしまう典型。カムチャツカのようなところはまだ情報も少なく、ガイドブックなどはわずかしかない。その数少ない、世界中の人が参考にする英文のレビューの中で、日本人がそのように表現されているという事をみんな知るべきだと思った。


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日本製のカメラを持って観光するロシアの人たち。
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カムチャツカ余録(1) シャリバテ

今日からは旅の余録。

カムチャツカ入りした日はいつものように朝食抜き、昼は機内食を2回、夜は現金が無くてカロリーメイトのようなものを1本食べただけであった。翌日はさっそくアバチンスキー登山だったのであるが、打ち合わせ不足でどういうわけか翌朝の朝食も無しで出発となってしまった。旅行の契約ではホテル滞在中の夕食は客の責任であるが、朝食は提供されることになっていた。

さすがに1900mの標高差を登るのにこんな状態で大丈夫かと思ったが、無理なら引き返すだけであるし、ランチボックスはもらっていたからそれほど心配はせずに出発した。しかし案の定1200mほど登った標高2000m付近で身体が言うことをきかなくなってしまった。バテバテになってようやく休憩所に辿りついたが、その先750mも登れないような気がしていた。

ランチボックスを出してサンドイッチを一つ食べていると、イワンが紅茶を差し出してくれた。甘くて素晴らしくおいしい紅茶で、勧められるままに立て続けに3杯も飲み干してしまった。完全にシャリバテのようだった。休憩が終わるころには元気100倍に回復して無事登頂を果たしたのであった。

帰り道にイワンに、「途中で調子が悪かったのは朝食を食べなかったせいかも」と言うと、その理由をあれこれ聞かれた。ホテルに戻るとカーミャが夕食を用意して待っていてくれたのであるが、どうやらイワンが電話を入れてくれたようで、朝食の不備に対する詫びの意味もあったようであった。


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ランチボックスの内容。山での昼食は毎回こんな感じであった。左からジュース、アメ、チョコレート、クルミの実、アプリコット、(これは食べかけであるが)サンドイッチが2個、それに青リンゴ1個。

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アバチンスキー裏面の氷河。表面がわずかにピンク色なのはある種のバクテリアが繁殖しているからだとイワンは言っていた。
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2012.8.10 カムチャツカ(10) MATANE

良く晴れた朝のパラトゥンカのホテル、旅を続ける人々は大型バスで出発していった。3日間一緒だったメス、マイク、ケイトとはここでお別れで、ひとしきり挨拶を済ませるとがっちりと握手をしてバスに乗り込んでいった。

今日中にカムチャツカを発つのは私とユリアとやはりモスクワから来た31才のコースチイの3人。(ロシア人は同じ名前が本当に多い。)3人で手を振ってバスを見送ってから遅い朝食をとる。それまでの3日間、全く接点が無かったコースチイはとうとう英語で話を始めた。一度話をすると相当フレンドリーないい奴であることが解ったが、どうせならもっと早く話かけてくれたらよかったのにと思った。お互い様ではあるけれど・・・。彼も一人旅とのことで、一緒に過ごしたロシア人の半数は一人旅だったことに気付いた。

10時過ぎに、初日に迎えに来てくれた運転手のバージャが現れてピックアップしてくれた。マーケットで買い物をしているうちにあっという間に時間となり空港へと向かう。モスクワ行きの出発のほうが2時間ほど早かったので2人とは空港の入り口でお別れということになった。

「ダスピダーニャ」と言いながら2人と握手を交わす。ユリアが日本語で「さよなら」と言うので、「またね」と返した。意味がわからなかったようでキョトンとしているので、「さよなら」と「またね」の違いを説明してあげると、彼女は最高の笑顔で「またね!」と手を振ってゲートに消えていった。

ウラジオストク行きの飛行機も今日は定刻に離陸。蛇行する原始のままの川、美しい湿地帯、連なる山並み、なにもかもが夕陽を浴びてキラキラと輝いていた。素晴らしいカムチャツカの自然と、お世話になった人々へ、ありがとう。


パラトゥンカのホテルの狭いベッドの床板は折れていた。
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バージャの運転で、パラトゥンカからマーケットへ向かう。
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ユリアもコースチイもイクラを大量に購入。モスクワでは喜ばれるのだとか。ユリアは大きな鮭の干物も買っていたが、手荷物で機内に持ち込むと言っていた。
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コリャークスキーには少し雲が掛かっていた。
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連絡バスから搭乗口を振り返る。さよならカムチャツカ。
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(完)
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2012.8.9 カムチャツカ(9) ゴーレリースキーの巨大クレーター

トレッキング最終日はゴーレリースキーのクレーターを見に行くということで、昨日と同じ8時朝食、9時スタートのスケジュール。3時頃まで歌っていた歌姫達もしっかりと起きてきた。この日は朝から天気が良くて、暑い1日になりそう。

今日のルートは火口縁まで見通しの良い1本道。各自のペースで適当に登るという感じでスタートした。写真をとりながらゆっくり登っていく。それにしても今日の景色はまた雄大だ。3日前に登ったアバチンスキーが頭だけ遠くに浮かんでいた。

火口縁でランチタイムとなりその後は片側の切れ落ちたお鉢を巡って山頂まで行く。山頂から、カムチャツカの大地もこれで見納めかと思うと少し寂しくなったけれど、色々と楽しかったことを思い出しながら山を下りていった。

キャンプ地に帰ってみんなで撤収作業をしてパラトゥンカのホテルに向かう。午後7時からの最後の夕食後はドライバーのウラジミールも一緒になってまたウオッカタイムとなり、それぞれに最後の夜を惜しんだのだった。



ゴーレリースキー登山口。
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麓にキャンプ地のあるビュルチンスキーをバックに登っていく。
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天気は上々だけれど空は秋空。
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目をこらすと遠くにコリャークスキーとアバチンスキーが頭だけ見えた。
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火口縁に向かって登っていく。
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最後の急坂。
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昨日登った、ムトゥノフスキーの噴煙が見える。
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振り返ると人工物が何一つない大自然。
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クレーターに到着。蔵王のお釜と雌阿寒岳の火口が二つ並んだような形のクレーター。こちらは蔵王型。
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私は明日カムチャツカを離れるが、メスはこの後もう1週間滞在する予定とのことであった。メスも数年前に東京で仕事をしていたという。今は北京の会社で家具のデザインを手がけているという。
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ロシア人の間ではお尻に敷くマットを腰に巻き付けるスタイルが流行していた。
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柵も何もない幅1m程のお鉢巡りはちょっとだけスリリング。
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こちら雌阿寒岳のようなクレーター。
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右からビュルチンスキー、アバチンスキー、コリャークスキー。全て火山。
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山頂。
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下山中に歌姫達を追い抜く。右はモスクワのユリア。左は名前は聞かなかったがモスクワの100km北の町から来たと言った。
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チシマギキョウ?
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ベースが見えてきた。下山では、3日間車で隣に座ったロシア人女性と付かず離れずであった。
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(続く)
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2012.8.8 カムチャツカ(8) イワンの祈り

午後はとても暑く、キャンプに帰ると女性数人はいきなり人目も憚らずにビキニ姿になって近くの池に身体を拭きに行った。さすがヨーロッパ人は違うなあと大きなカルチャーショックを受けたのだった。

2晩目の夕食時には少し打ち解けたロシア人達が話しかけてくるようになった。一人でモスクワから来たという24才のユリアは日本語にも興味があるようで色々と質問してくる。モスクワには今「寿司屋」が沢山できていてちょっとした日本ブームなのだそう。

食事を済ませて日が傾くと急に寒くなってきて、ほとんど全員がたき火の回りに集まった。みんな自分の飲み物を持ってゆっくりとした時間を楽しんでいた。黙ってたき火を見つめていたり、とりとめもなく話をしていたり、何をしていても良かった。

運転手のウラジミールがウオッカを持ってきて、みんなのカップに注いで回ると、ロシアの風習に従ってイワンが乾杯の口上を始めた。イワンは最初はロシア語で、次に英語でゆっくりゆっくりと話した。

「世界中から人々が集まって大自然の中で遊び仲良くなる。なんて素晴らしいのだろう。みんながいつまでも幸せでありますように。カムチャツカの自然がいつまでもここにありますように。」

そんな事を言っていたように思う。ロシア語の「乾杯」は結局憶えられなかったけれど、ユリアが笑いながら日本語で「カンパイ!」と言ってくれた。

ロシアの辺境の地でたまたま出会った人々が、人種も国家も関係なく同じ時間と感覚を共有するという、なんとも得難い体験であった。


メスは下を向いていた。私は午前0時でテントに引き上げたが、一番遅い人は朝の3時ころまでロシアの唄を歌って楽しんでいたようだった。
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(続く)
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2012.8.8 カムチャツカ(7) ムトゥノフスキーの氷河と噴気口

ロシア人達は相変わらず朝遅い。7時30分くらいになってようやくみんな起き出してきた。どうやらロシアのサマータイムは、ロシア人達にとっても辛いシステムのようだった。8時朝食。昨夜のスープがとても美味しかったのとは対照的にまずい麦粥だった。今日は2時間ほど車に揺られてムトゥノフスキー火山に噴気口を見に行く。心配した天気も回復傾向であった。

キャンプ地周囲は綺麗な小川が流れ、見たことの無い花が咲き乱れる。トイレはテントサイトの一番奥にボットントイレ程度の長方形で40cmほどの深さに地面を掘って簡易テントで覆っただけのものだった。キャンプが済んだら土をかけて埋めておしまいということなのだろう。トイレットペーパーも構わずにその穴に捨てていたけれど、このキャンプ地はこの先何度も使われるのであろうに、このシステムではいずれ破綻するだろうと心配になった。

この2日間、ここ以外にトイレは一切ない。今日の行動中もしたくなったら男も女も関係なくどこか岩陰へ行く、ということである。

私は大の方をしたいような、したくないような、中途半端な気分のまま車に乗ってしまった。ムトゥノフスキーからの下山中には結構催していて、どこか岩陰をと思ったものの、結局下山してしまうともうチャンスは無かった。変な汗を流しながら2時間も6WDに揺られて帰ってきたのであった。



明るくなるのは朝6時ころ。
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7時半までほとんど誰も出てこない。とにかく宵っ張りな人々。右奥の黄色が簡易トイレ。
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キャンプ地から今日の目的の火山まで片道2時間。
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まだガスがかかっている山道を歩きだす。今日のトレッキングは標高差は300m程度。
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谷筋の道を行く。
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砂のオブジェ。
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急な坂を登っていくと噴気が見えてきた。
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日本にもカムチャツカ同様に多くの火山があるけれど、この「氷河と噴気口」の組合せだけは日本では見ることが出来ない貴重な風景。
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火山オタクの自分はひたすら感動。
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ここでランチタイム。
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ロシア人ガイドの一人、31才。この人もイワンといった。サンクトペテロブルグで英語の学位を取ったというだけあって、見事な英語を話す。どういうわけか今は夏はトレッキングガイドをして働き、冬はカムチャツカで寿司を握るのだという。以前、東京に住んでいた時に知り合った日本人のガールフレンドとカムチャツカにいるらしい。
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ムトゥノフスキー火山と浸食されて深くえぐれた谷。
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荒涼とした大地を帰る。
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ヴィルチンスキー山麓のキャンプ地に到着。暑い午後だった。
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(続く)
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2012.8.7 カムチャツカ(6) ビュルチンスキー山麓キャンプ地

船から下りた客の半分が港で待っていた6WDに乗り換えた。これで100kmほど離れた今夜のキャンプ地まで行くらしい。宿に残してきたスーツケースはいつの間にか後のほうに積み込まれていた。

私は一番前の席、ロシア人の中年女性の隣に座ることになった。とりあえず最初が肝心かと思って、パスポートを取り出して表紙を見せ、次に中を開いて名前と生年月日を教える。おばさんはにっこり笑って「アロー」と言った。こちらもようやく覚えた「ドブルイディン(こんにちは)」と言って握手。あとは大して話もしなかったが大体気心が知れて楽に過ごせた。明日の朝には自分の年齢と国籍はきっとみんなに伝わっているだろう。

デンマーク人のメスも、スロバキア人のマイクとケイトも後の方に座っている様だった。ガイドのキリルが熊よけの大型犬を連れて乗り込んできて、ロシア語で何か説明しているがさっぱり解らない。周囲のロシア語の会話を音楽のようにボーッと聞いていると、それに混じって後の方から「犬にえさを与えないでね」という英語が聞こえてきた。ケイトが私のためにわざわざ教えてくれたのであった。



カムチャツカ名物6WD。古い軍用車を改造しているらしく、かなりの悪路を走れる。
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これはまだまともな「道路」。この先どんどん道は悪くなる。パラトゥンカの国立公園入り口。
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美味しい水が流れている「銀の川」。ここで木の枝に布を結びつけると「どんな願いでも叶う」のだとか。
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キリルがチェーンソーを持って森に入っていき、キャンプファイヤー用の丸太を何本か切り出してきた。それをガイドと客が協力して天井に載せていく。
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霧雨のキャンプ地に到着。もう20時を過ぎているので急いでテントを設営。大体2人で1つの割り当てになり、私はメスと一緒の割り当てとなって、この北京在住のデンマーク人と2晩を同じテントで過ごすことになったのだった。
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さっき切り出してきた木に火を付けて、キャンプファイヤーが始まる。テントを張り終えた者から集まってきて、各々途中で買ってきた酒を飲み始めた。気持ちよくなってきたところで夕食の時間となった。黄色いテントが食事用であった。
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(続く)
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2012.8.7 カムチャツカ(5) アバチャ湾 

8時からの朝食会場はロシア人達(多分)で賑わっていた。空いているテーブルに着くと一人旅風のロシア人が隣に座ったけれど、この人との会話は成立しなかった。しかたなく黙って頼んだものを待っていると、また2人連れが入ってきた。隣のロシア人が私を突ついて何やら身振りで伝えようとしている。後からきた2人も私達のテーブルにやってきて4人の相席となった。一人はロシア人スタッフでもう一人は客だったが、客のほうはデンマーク出身でメスという名前だと自己紹介した。

隣のロシア人はメスが英語を話す事を知っていて、どうやらその事を伝えたかったらしい。風邪を引いたと言って鼻をグズグズさせているメスはあまり楽しくなさそうにしていた。彼にロシア語を話せるかどうか聞いてみると、両手を広げて肩をすくめて見せた。実際、スタッフやガイド以外の一般のロシア人客は、外国人とは距離を置いていて、あまり話したがっていない様に思えた。(後になってこれは誤解だということがわかったのだが。)

カムチャツカのメジャーな観光ルートの一つに、アバチャ湾ボートトリップというものがある。現地旅行会社にセットしてもらったプログラムによれば、この日は朝からそれに参加することになっていたのだが、正直言って海のほうにはあまり興味は無かった。ただ、夕方から始まる次の2泊3日のトレッキングの参加者はみんな同じスケジュールになっているであろうから、早めに雰囲気に慣れるために予定通り参加することにした。

バスで港に着いた30人ほどの客のほとんどがロシア人で、外国人は私とメスとスロバキアから来た夫婦の4人だけだった。スロバキア人夫婦は、自分達の名前は英語風に言うとマイケルとケイトだと言うので、そう呼ぶことになった。この夫婦はロシア語と英語の両方をとても流暢に話したので、私とメスはその後のトレッキング中は彼らにロシア語を英語に通訳してもらってなんとか過ごすことができた。

アバチャ湾ボートトリップは5時間ほどで終了。海鳥のために保護された小島付近で停泊して釣りをしたり、少人数に分けられてモーターボートで小島の周囲を回ったりとそれなりに趣向が凝らされていたが、山登りに来た自分としてはやはり退屈だった。

運良くクジラの親子を見ることができてご機嫌で本船に戻ると、キャビンで魚のスープ「ウハ-」をメインに昼食が始まる。ウハーはボルシチと並ぶロシアの代表的なスープだということだが、ここで食べたウハーは今回のロシア滞在中に食べたどのスープよりも美味しかったと思う。

お腹が一杯になった客を乗せて、船はゆっくりとアバチャ湾内の港へと戻っていった。 



ホテルから港へ向かうバスはやたらと立派だった。
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乗船を待つ人々。あいにくの曇り空だったけれど降られなかった。
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出港。
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「エトピリカ」が沢山いるのを見てひそかに感動する。この鳥は北海道・根室半島付近の海岸に限られた時期に数羽しか飛来しない幻の鳥。
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ロシアの船に乗ることになるとは思わなかった。クレーンにつり下げられて、2台のモーターボートが乗せられていた。
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侵食されてできた有名な岩。このあたりの海岸線も100年前に津波の被害を受けたのだという。
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YAMAHAの原動機が付いた高速ゴムボートに乗り移る。両手でしっかりつかまっていないと振り落とされそうなスピードで周囲を案内してもらう。
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手前、黄色いジャケットのメスは相変わらず楽しく無さそうにしていたが、クジラが見えると途端に元気になって、お前あんな大きなクジラみたことあるか?などと話しかけてくる。そもそもダーツの旅のようなボードゲームをして偶然にカムチャツカに来ることになったのだとか。
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海鳥の楽園
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いつの間にか潜水夫が潜ってウニを捕ってきていた。ロシア人も普通に生ウニを食べる。
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(続く)
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2012.8.6 カムチャツカ(4) イワンと山登り アバチンスキー

前日にカーミャから言われていたように朝7時丁度にホテルのロビーに登山靴を履いたガイドが姿を現した。次いで、ジーンズにタンクトップの男ともうひとり背の高い男。どうやらこの3人と山に行くことになるらしい。

標高3456mのコリャークスキーと2741mのアバチンスキーが兄弟のように並ぶ。そのコルにある標高850mのベースキャンプまで1時間ほど悪路を行く。車は車高を高くしたパジェロだった。

ガイドは24才のイワンという青年。タンクトップの男はドライバーのディマ、背の高いの男はネイチャーガイドのコースチイだった。アバチンスキーの山頂まで標高差1900mは登りだけで6時間ほど掛かる。どうやらイワンと登ってみて万一私が体力不足で引き返したら、ネイチャーガイドのコースチイが後を引き継いで周辺を散策、という流れのようだった。

6才の頃にモスクワから来たというイワンは火山学が専門だと言った。誠実な感じの好青年だった。ガイドはアルバイトでやっているのだろうが、この山に登るのはこの夏10回目だということであった。

イワンからランチボックスを受け取って二人で登り始めたが、しばらくはなだらかな傾斜だったので、お互いのことを話しながら登っていった。自分の英語もひどかったと思うけれど、イワンもParkを「バルク」、Wordは「バルド」、というようにロシア語訛が強く、耳が慣れるまでに少し時間が掛かった。たびたび「フュアル?」と聞くので、燃料?つまり大丈夫か?という意味かと思って、「アイムオーケー」と返していたのだが、夕方になってようやく「ハウアーユー?」と聞いているのだということに気付いた。結局返答は同じだからいいのだけれど。

登っている最中に時折イワンの携帯が鳴った。興奮してロシア語で何かしゃべっていたが、どうやら友人がユーラシア大陸の火山最高峰、クリュチェフスカヤにアタック中とのことであった。カムチャツカ最高峰でもある4750mのその活火山はとても私などに登れる山ではないが、やはり近くまででもいいから行ってみたい。きっと現地の人にとっても憧れの山なのだろう。

だいたい5時間でアバチンスキーの山頂まで行き、2時間半で山麓まで帰ってきた。標高差1900mの日帰りは結構タフではあるけれど危険なところも無く、帰りは砂走りのような感じで高速下山できる。体力次第で誰にでも登れる山という印象だった。アバチンスキーの赤茶けた山肌は北海道の旭岳に似た感じがしたが、何よりも感動したのは山の裏側に私にとっては生まれて初めて目にする氷河が横たわっていたことであろう。標高2000mそこそこで氷河が見られるなんて思いもしなかった。

雲が取れて晴れ渡ってきた夕刻、ベースキャンプに戻るとディマとコースチイが待っていてくれた。イワンに聞くと、1日中私たちの帰りをそこで待っていたのだという。長いこと待たせて申し訳ないと言うと、自分達ものんびり過ごしてリフレッシュできるから問題ないよ、と笑って言うのであった。

ディマに頼んで帰り道にショッピングモールに寄ってもらい、昨日と同じATMでようやく余裕の持てるルーブルを引き出すことが出来た。よかった、これで何の心配もなく明日以降を過ごせる。



ベースキャンプからアバチンスキー。午前9時過ぎに標高差1900mの日帰り出発は遅いようだけれど、日没が午後9時ころなので全く問題なかった。
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ビスケットで餌付けされた地ネズミがそこらかしこに出没。
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ディマとコースチイ。夕方まで待っていてくれた。
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ペトロパブロフスク・カムチャツキーは雲の下だったが、ベースキャンプは明るい太陽の下。
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登山道の無いコリャークスキーにはまだ登ったことが無いと、イワン。
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こちらアバチンスキー。
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急坂が始まるちょっと前で振り返る。
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氷河の末端が見えた。
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あの尖った岩は何というかと聞くと「ジャンダルム」と。
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氷河の中心が見えてきた。
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平均斜度45度以上の砂礫の道をゆっくりと登る。
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山頂からコリャークスキーを見て。
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黒い岩が、1991年に噴火した時の新しい溶岩だとイワン。
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イワンと氷河。ランチボックスには必ず青リンゴが入っていた。
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1時間弱、ランチタイムとお鉢巡りを楽しむ。普段と違って風がなくラッキーだと言われた。
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火山性ガスはそこそこきつい。いつの間にかゴーグルとマスクで完全防備のイワン。
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下山にかかる。
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1カ所雪渓を渡る。今年はカムチャツカも暑い夏だそうで、例年より残雪が少ないのだそう。
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中間地点から振り返る。イワンは心ない登山者の残したペットボトルを拾ってザックに入れていた。
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あっという間に降りてきた。
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アバチンスキーの砂走り。中間地点より下では、登りルートと下りルートは完全に分けられていた。
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リクエストに応えて走ってくれるイワン。
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ロシア語でスキーアルピニズムと読む。他にもヘリスキー、ビキニでクロスカントリ-、スノーボードなどカムチャツカでもウインタースポーツは結構多彩らしい。
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スパシーバ、ダスピダーニャ。
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カムチャツカの火山群として1996年に世界自然遺産に登録された。核心部は2つの自然保護区と3つの自然公園からなる。アバチンスキーはナリチェボ自然公園の一部で世界遺産に含まれる。
キャプチャ


(続く)
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2012.8.5 カムチャツカ(3) やっぱり現金

エリゾボ空港ではゲートの外に出迎えの人々が3-40人ほど集まっていた。その中の2人の男女がツアー会社の名前を書いたボードを持って立っていた。

ドライバーのバージャと、スタッフのカーミャだった。車にスーツケースを積み込んでから、カーミャに一番気になっていた用件を切り出した。彼女の会社はクレジットカードに対応しておらず、現地で現金を渡す必要があったのだ。

日本を出る前に、レートが悪い成田での両替は最小限にして、現地のATMでルーブルを引き出した方が良いという噂を聞いていた。そしてエリゾボ空港にVISAの使えるATMがあることを知って、現地滞在費のほとんどをそのATMで用立てようと思っていたのだ。しかし初めて行くロシアで、それもカムチャツカでそれはどう考えても無謀な事だった。

飛行機が遅延して19時になろうという時間で、カーミャに頼んで案内してもらったATMはすでに取り扱い時間を過ぎていた。

呆然としていると、カーミャが市内のショッピングモールに行こうと言ってくれた。カムチャツカで一番大きいというそのモール内には全部で20台ほどのATMがあり、あれこれ試してみてなんとか必要最小限の現金を引き出すことができたのだった。

けれども1日の取り扱い金額に限りがあるようで、ツアー代金にギリギリ間に合うくらいの現金をかき集めるのが精一杯だった。

彼らのオフィスも入っているホテルに着いて支払いを済ませると、残りの現金はわずかに500ルーブル。日本円にして1300円ほどしかない。こんな事なら多少レートは悪くても成田でしっかり両替してくれば良かったと後悔しても後の祭りで、明日も山から下りたらATMに連れて行ってもらわないといけない。

到着して早々の失態で意気消沈したうえに、500ルーブルしか無いから明日のミネラルウオーター代も気になってレストランにも行けない。仕方なくホテルの部屋に入るとそのままごろりとベッドに横になった。

日本から持ってきた非常食を出して食べながら、自分の馬鹿さ加減を呪ってため息をつく。明日は一番楽しみにしていたアバチンスキー火山に登る日なのに。




エリゾボ空港に降り立つ。カムチャツカ半島最大の都市ペトロパブロフスク・カムチャツキーには、空港から車で2-30分。
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市内で一番大きなショッピングモール。なんとか現金を用立てる。
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カムチャツカ半島もソ連崩壊から20年以上が経ち、市内の道路はほとんど舗装され、万引き防止システムを備えたスーパーがあり、郊外の標高2700mの山に登っても携帯が通じるという、想像以上にモダンな都市であった。
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ガイザーホテル。内部はしっかりしていたが、外壁はボロボロ。ウラジオストクのホテルより2ランクくらい下。最初の2晩はここに泊まった。
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もちろんこのような古く汚い建物のほうがまだまだ多いのであるが、地の涯かと思った根室の納沙布岬より遙かに先のカムチャツカにこのようにに栄えた都市があること自体、驚きであった。
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(続く)
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2012.8.4 カムチャツカ(2) ロシア語デビュー

知っているロシア語と言えばどこかで覚えた、ダー(yes)、ニエット(no)、ダスビダーニャ(good bye)、スパシーバ(thank you)くらい。出発まで2週間を切っても「こんにちは」すら憶えられず、ロシア語でのコミュニケーションは絶望的だった。

ウラジオストクの小綺麗なホテルにチェックインすると、フロントもガードマンも英語使いで、レストランのラストオーダーの時間が近いことを教えてくれた。お腹が空いていたのでボルシチ目当てに早速レストランへと向かう。

カウンターの内側に女性2人とテーブルに男が2人。そろそろ仕事が終わる奥さんを迎えにきた旦那衆が遅い夕食をとっているという図だった。

私が入っていくとカウンターの中のひとりが鉄仮面のような表情で早口で何かを言ってきた。構わずにジェスチャーを交えて英語で「何か食べたい」と言ってみる。テーブルの一つを指すので「スパシーバ」と言いながら席に着くと、すぐにロシア語で書かれたメニューを持ってやってきた。ここの2人はロシア語しか話さないようなので、用意していた会話集を開く。

この超初心者用のロシア語会話集はとても良く出来ていて、写真や絵を指しながら相手とコミュニケーションが取れるように作られている。あらかじめ角を折ってマークしておいた「食べる」の部分が最も重要なページで、スープ、メインディッシュ、飲み物、などに分類されて、それぞれに日本語とロシア語、そして発音がカタカナで書かれていた。

ボルシチの写真を指しながら「ボールシ」と言うと、鉄仮面のようだったおばさんの頬の筋肉が少し緩んだように見えた。同じようにメインディッシュに肉料理と、飲み物にロシアビールを頼むと、ニコリと笑って下がっていった。

生まれて初めて食べる本場のボルシチをゆっくりと楽しんでから席を立つ。「フクースナ、スパシーバ(おいしかったです、ありがとう)」。おばさん、「バジャールスタ(どういたしまして)」。

目的を達した満足感に包まれて、いきなり飲んだビールのせいで少しふらつきながら、気持ちよく部屋へと引き上げたのだった。




こじんまりとしたベニスホテル。1泊3720ルーブル(1万円くらい)。多分高級なほう。
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翌朝国内線ターミナルに向かう。雨はあがった。
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チェックイン時にもe-チケットの英語を読めない係員との間で一悶着あったが、別の係員が出てきて事なきを得る。しかし5時間の遅延。原因の説明もほとんど無い様子だったのに、ロシア人は誰も怒り出さずに根気強く待っているのが印象的だった。
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4時間経過するとついに機内食が配られて、出発ロビーでいただく。魚の煮付けとお米の日本食に似ていてなかなかの美味。丸パン、黒パン、チーズ、サラミ、ブラックベリーは機内食のデフォルト。
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ようやく搭乗となり、ぞろぞろとタラップへ向かう。機体は今年アエロフロートに吸収合併されたウラジオストク航空の塗装のままのA320。ざっと見たところモンゴロイドは5~6名、ただし、多民族国家ロシアではモンゴロイドは珍しくないので、同胞と間違われてロシア語で話しかけられたりする。
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サハリンをかすめてカムチャツカへひとっ飛び、3時間。
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(続く)
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2012.8.4 カムチャツカ (1) ウラジオストク

冬の穂高連峰に消えた写真家の岡田昇さん。彼がカムチャツカを初めて訪れたのは今から21年も前の1991年、ちょうどソビエト連邦が崩壊した頃であった。その紀行文「カムチャツカ体験記~水と火と風の大地」が発刊されたのは岡田さんが遭難する2年前の2000年である。その本を読んでからというもの、機会があればいつかカムチャツカに行ってみたいと思っていた。

けれども日本とロシアとの間には北方領土問題があり、関係は思わしくない。震災時にはロシア空軍があたかも試すかのように日本の周囲を飛び回るのがニュースになっていた。
6月末には現地旅行会社にツアーの予約をして、航空券や査証の手配を整えていたのだが、7月に首相のメドベーチェフが国後島に飛んできて日本人を挑発をするのを見てからは、正直言って半分行きたくなくなってしまっていた。

それでも予定通りに8月4日土曜日午後、成田からウラジオストク行きのシベリア航空に乗り込むと周囲の乗客はほとんどロシア人。客室乗務員を含めてクルーも全員ロシア人で、そこはすでにほとんど日本語の通じない世界だった。

フライトタイムはわずかに2時間半。飛行機はどんどんと雲の中を高度を下げていき、あっというまに雨のウラジオストク空港に降り立つ。ほとんど列の最後で入国審査を済ませると、「タクシー、タクシー」とささやきながら付きまとってくる男を避けるように外へ出た。今夜は空港の目の前のホテルで過ごして明日カムチャツカに入る予定である。東京から西に飛んだのに、何故か時計を2時間進める必要のあるウラジオストクは21時で丁度日没という感じであった。


成田で、なかなか良いカラーリングのシベリア航空A320に乗り込む。
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ウラジオストク空港に着いたがボーディングブリッジは無い。
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入国審査官は3人で、時間がかかる。
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ホテルからの撮影。左手のこじんまりとした建物がターミナル。明るかったのでホテル外壁に書かれた「HOTEL」の文字が読めたから良かったが、真っ暗だったら辿りつけなかったかも知れない。
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(続く)
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