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PIKANDA PART2

2012.8.4 カムチャツカ (1) ウラジオストク

冬の穂高連峰に消えた写真家の岡田昇さん。彼がカムチャツカを初めて訪れたのは今から21年も前の1991年、ちょうどソビエト連邦が崩壊した頃であった。その紀行文「カムチャツカ体験記~水と火と風の大地」が発刊されたのは岡田さんが遭難する2年前の2000年である。その本を読んでからというもの、機会があればいつかカムチャツカに行ってみたいと思っていた。

けれども日本とロシアとの間には北方領土問題があり、関係は思わしくない。震災時にはロシア空軍があたかも試すかのように日本の周囲を飛び回るのがニュースになっていた。
6月末には現地旅行会社にツアーの予約をして、航空券や査証の手配を整えていたのだが、7月に首相のメドベーチェフが国後島に飛んできて日本人を挑発をするのを見てからは、正直言って半分行きたくなくなってしまっていた。

それでも予定通りに8月4日土曜日午後、成田からウラジオストク行きのシベリア航空に乗り込むと周囲の乗客はほとんどロシア人。客室乗務員を含めてクルーも全員ロシア人で、そこはすでにほとんど日本語の通じない世界だった。

フライトタイムはわずかに2時間半。飛行機はどんどんと雲の中を高度を下げていき、あっというまに雨のウラジオストク空港に降り立つ。ほとんど列の最後で入国審査を済ませると、「タクシー、タクシー」とささやきながら付きまとってくる男を避けるように外へ出た。今夜は空港の目の前のホテルで過ごして明日カムチャツカに入る予定である。東京から西に飛んだのに、何故か時計を2時間進める必要のあるウラジオストクは21時で丁度日没という感じであった。


成田で、なかなか良いカラーリングのシベリア航空A320に乗り込む。
sIMGP0011.jpg

ウラジオストク空港に着いたがボーディングブリッジは無い。
sIMGP0012.jpg

入国審査官は3人で、時間がかかる。
sIMGP0014.jpg

ホテルからの撮影。左手のこじんまりとした建物がターミナル。明るかったのでホテル外壁に書かれた「HOTEL」の文字が読めたから良かったが、真っ暗だったら辿りつけなかったかも知れない。
sIMGP9655.jpg


(続く)
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