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PIKANDA PART2

2012.8.9 カムチャツカ(9) ゴーレリースキーの巨大クレーター

トレッキング最終日はゴーレリースキーのクレーターを見に行くということで、昨日と同じ8時朝食、9時スタートのスケジュール。3時頃まで歌っていた歌姫達もしっかりと起きてきた。この日は朝から天気が良くて、暑い1日になりそう。

今日のルートは火口縁まで見通しの良い1本道。各自のペースで適当に登るという感じでスタートした。写真をとりながらゆっくり登っていく。それにしても今日の景色はまた雄大だ。3日前に登ったアバチンスキーが頭だけ遠くに浮かんでいた。

火口縁でランチタイムとなりその後は片側の切れ落ちたお鉢を巡って山頂まで行く。山頂から、カムチャツカの大地もこれで見納めかと思うと少し寂しくなったけれど、色々と楽しかったことを思い出しながら山を下りていった。

キャンプ地に帰ってみんなで撤収作業をしてパラトゥンカのホテルに向かう。午後7時からの最後の夕食後はドライバーのウラジミールも一緒になってまたウオッカタイムとなり、それぞれに最後の夜を惜しんだのだった。



ゴーレリースキー登山口。
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麓にキャンプ地のあるビュルチンスキーをバックに登っていく。
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天気は上々だけれど空は秋空。
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目をこらすと遠くにコリャークスキーとアバチンスキーが頭だけ見えた。
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火口縁に向かって登っていく。
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最後の急坂。
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昨日登った、ムトゥノフスキーの噴煙が見える。
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振り返ると人工物が何一つない大自然。
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クレーターに到着。蔵王のお釜と雌阿寒岳の火口が二つ並んだような形のクレーター。こちらは蔵王型。
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私は明日カムチャツカを離れるが、メスはこの後もう1週間滞在する予定とのことであった。メスも数年前に東京で仕事をしていたという。今は北京の会社で家具のデザインを手がけているという。
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ロシア人の間ではお尻に敷くマットを腰に巻き付けるスタイルが流行していた。
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柵も何もない幅1m程のお鉢巡りはちょっとだけスリリング。
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こちら雌阿寒岳のようなクレーター。
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右からビュルチンスキー、アバチンスキー、コリャークスキー。全て火山。
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山頂。
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下山中に歌姫達を追い抜く。右はモスクワのユリア。左は名前は聞かなかったがモスクワの100km北の町から来たと言った。
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チシマギキョウ?
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ベースが見えてきた。下山では、3日間車で隣に座ったロシア人女性と付かず離れずであった。
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(続く)
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2012.8.8 カムチャツカ(8) イワンの祈り

午後はとても暑く、キャンプに帰ると女性数人はいきなり人目も憚らずにビキニ姿になって近くの池に身体を拭きに行った。さすがヨーロッパ人は違うなあと大きなカルチャーショックを受けたのだった。

2晩目の夕食時には少し打ち解けたロシア人達が話しかけてくるようになった。一人でモスクワから来たという24才のユリアは日本語にも興味があるようで色々と質問してくる。モスクワには今「寿司屋」が沢山できていてちょっとした日本ブームなのだそう。

食事を済ませて日が傾くと急に寒くなってきて、ほとんど全員がたき火の回りに集まった。みんな自分の飲み物を持ってゆっくりとした時間を楽しんでいた。黙ってたき火を見つめていたり、とりとめもなく話をしていたり、何をしていても良かった。

運転手のウラジミールがウオッカを持ってきて、みんなのカップに注いで回ると、ロシアの風習に従ってイワンが乾杯の口上を始めた。イワンは最初はロシア語で、次に英語でゆっくりゆっくりと話した。

「世界中から人々が集まって大自然の中で遊び仲良くなる。なんて素晴らしいのだろう。みんながいつまでも幸せでありますように。カムチャツカの自然がいつまでもここにありますように。」

そんな事を言っていたように思う。ロシア語の「乾杯」は結局憶えられなかったけれど、ユリアが笑いながら日本語で「カンパイ!」と言ってくれた。

ロシアの辺境の地でたまたま出会った人々が、人種も国家も関係なく同じ時間と感覚を共有するという、なんとも得難い体験であった。


メスは下を向いていた。私は午前0時でテントに引き上げたが、一番遅い人は朝の3時ころまでロシアの唄を歌って楽しんでいたようだった。
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(続く)
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