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2010.8.6 古都回想(1) 「足腰御守、健脚御守」

さて、9割かた眼の調子も戻ったので、今日から仕事をと張り切って朝一番に眼科の診察を受けたものの、もう少し出勤は見合わせるようにということで、臨時休暇は2週目に突入した。

暇なので夏の関西旅行の思い出話でも・・・。

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↑2010.8.6京都・護王神社


8月6日、灼熱の京都御所見学を終えて烏丸通りを丸太町に向かってブラブラ歩いていると、蛤門前に小さなお社があるのに気づいた。それが護王神社だった。

王を護る神社・・・

祭神、和気清麻呂(わけのきよまろ)はいつの頃からか京都・高尾山の神護寺に祀られていたが、1000年以上も後の明治天皇によって御所のお隣に移され、改めて篤く祀られるようになったという。



清麻呂は奈良時代の官僚で、当時の権力者・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)の皇位への野望を砕き天皇家の血統を護った、ということになっている。

769年、大分・宇佐八幡宮から発せられた「道鏡を皇位に就けるべし」という神託の真偽を確認するために、朝廷は清麻呂を派遣する。

清麻呂は、「臣下が皇位に就くことなどあり得ない」という異なる神託を得て奈良へ帰り、その報告を奏上することにより、道鏡の皇位継承が不法であることを訴えた。

これを聞いた道鏡と、当時道鏡に強い権力を与えていた女帝・称徳天皇の怒りを買い、清麻呂は鹿児島に流罪となった。

鹿児島に流される道中、道鏡の刺客に襲われ足をひどく負傷した清麻呂は歩くこともままならない状態に陥ったが、途中立ち寄った宇佐八幡宮の付近で、不思議なほどの回復を見せたという。

そうした伝説により、清麻呂は足腰の神様として祀られることになったのだそう。


道鏡は女帝の死後に失脚し栃木へ左遷されそこで没する。清麻呂は名誉回復。大和へ帰り、平安遷都にも大きな功績を残したと言われる。



さて、前置きが長くなりましたが、そんな道鏡事件の話は聞いたことがあるような、ないような、そんな程度の歴史観しか持ち合わせていないけれど、御守は買わなきゃいかんという気にさせられたのだった。

「足腰御守」はどちらかというと足腰の病気治癒の祈願用のような気がしたので、健康人向け?と思われた「健脚御守」というのを購入。

実際に、その後の山行ではザックの天蓋に入れて持ち歩いていましたが、ここの御守りは御利益がありますよ~(笑)。



↓左は宮城・大崎八幡宮の厄除。右が京都・護王神社の健脚御守だけど御守りらしくないデザインが良いでしょ?
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